先日、ニコニコ生放送で放送された「朝までニコニコ生激論『ベーシックインカム(キリッ』」に関連した議論が Twitter 上で続けられている。というか、ベーシック・インカムについての議論が熱く盛り上がっているといったほうが正しい。それだけ関心の高い話題だということは、ベーシック・インカムの実現を期待するひとりとしては、喜ばしくもあり、また心強い。
しかし、まってほしい。ベーシック・インカムは果たして、理想的な制度なのだろうか。制度設計にもよるが、「最低限所得保障」という日本語があてられているように、これは基礎的な所得を保証する制度に過ぎない。個人的な言い回しになるが、「経済的な問題が理由で死ななくてもすむ保障」でしかないのだ。ここで憲法25条を参照しよう。
1. すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2. 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
ベーシック・インカムの支給額については、一部の試算では、「ひとりあたり月額5-7万程度」と考えられている。この試算が妥当か否かはさておき、政治的な説得や財源確保の問題を考えたとき、「生活のすべての要求を十分に満たせる額」というのは、夢物語に過ぎないことは論を待つまでもないだろう。しかし一方で、あまりに小額であれば、「最低限度の生活を保障する」という理念、そして現実的な要請に反する。これはどのように考えるべきなのだろうか。
ベーシック・インカムは最低限の所得を保証する。逆に言えば、「最低限の所得しか保証されない」のである。憲法25条にある権利をすべて満たす力は、はっ きり言ってベーシック・インカムには無い。あたりまえのことだが、ベーシック・インカムも制度のひとつにすぎない以上、その力が及ぶ範囲は限定的だ。それ 以外の制度や考え方が要求されるのだ。それでは、必要とされる最低限の保障とは、果たしていくらなのだろうか。
医療保障や障害者保障など、そもそも身体的な問題を持つ人々についてはベーシック・インカム以外にも保障制度が維持される、というのが前提なので、ここではあくまで健常者を対象に考えよう。単純に考えれば、生存に必要な生活空間の維持費(光熱費なども含む)と栄養学的に十分な食費が維持されれば、すくなくとも餓死はしないだろう。最低限度の医療保障もつけよう。これなら、そう簡単に死の危険と隣り合わせになることは無い。さて市民、あなたは幸せですか?
ありえないだろう。カプセルホテルか四畳半アパートに篭って三度のメシが保障される。でもそれだけの生活。対人恐怖症でも患っているのならともかく、健常者がこんな生活で満足するはずがない。好きなことをやって暮らす? いまギリギリの生活を強いられているならともかく、可処分所得が残る生活なら、好きなことに使える金は出るでしょう。それでは足りない、という人は、けっきょくガムシャラに働くしかない。いまとどこが違う。好きなことを仕事に、という人は夢をみないほうがいい。いま市場価値が認められていない行為は、「人の意識が変わらない限り」仕事としては認められない。価値を認めてもらえないから、お金が回ってこないのだ。最低の保障で生きていくことに意義を見出せる「強い人」しか、最低の生活を維持し続けることはできないのだ。
健康で文化的な生活を送りたいのであれば、それに向けて努力するしかない。国家の役割は、それを後押しすることなのだ。あるいは、阻害する要因を取り除くことなのだ。貧困は、その最大の阻害要因のひとつだ。ベーシック・インカムは貧困の撲滅には寄与するだろう。しかし、それだけでしかない。社会を良くしたいのであれば、考えることは数限りない。
(まだ少し続きます(CV:亀仙人))

0 件のコメント:
コメントを投稿