2010年2月28日日曜日

BI : ベーシック・インカムに対する覚書(その四)

労働力が余り、元労働者があふれる社会では、イノベーションによって様々な職場が創出されるとはいえ、人々は数少ない「職場」を求めて弱肉強食の争いを続けるか、競争に絶望したり疲れたりして、場合によっては人生そのものから「降りる」という選択をしなければならないのだろうか。正直に言えば、いまの社会の「あり方/制度」のままでいけば、それは現実の姿となると私は考えている。なぜか。いまの社会保障体制にしろ税制にしろ、「ほとんどの人々が働いて富を創出して、それを元手に社会をまわす」という仕組みになっているからだ。そもそも、「働けない人々が多数生まれる」という前提に立っていない。みんなに働いてもらわなければ困るのだ。しかし、生産力が上がり技術が進歩した現在、労働の現場は多くの人手を求めてはいない。いまだに資本の関係で機械化等が進まず非効率的な職場も多いが、それは時間の問題だ。廃業するか機械化/高度化が進み、いずれ労働者の必要数は減っていく。どうしても人間の手が必要な産業や職場だけは残るだろうが、すべての健常者がそこに場所を得るためには、労働人口そのものを均衡点にまで減らさなければならない。幸い、日本は少子高齢化で急速な人口減の社会に向かっているので、案外、上記のようなディストピアの期間は短いかもしれないが。

そうはいっても、上記のような明るいのか暗いのかわからない未来が、いつ到来するのかは誰にも予測できないので、もう少し前向きな話をしよう。後編の今回の話は、かなり個人的な希望や期待をこめて書いてあるので、異論を持つ方も多いとおもう。というわけで、結論から先に書いておこう。

産業労働に従事できる人々、すなわち「多くの富」を創出する力を持てる人々は、社会全体で見れば少数なので、彼らには彼らで存分に働いてもらい、それ以外の人間は、「少数の富」を創出しつつイノベーションに備え、なにより大切な「社会の維持」に努めよう。社会保障体制は、この思想の下に構築されなければならない。

産業労働に従事できない人間は、社会にとって不必要な人間、重荷となる人間なのだろうか。そんなことはあるまい。家族がいれば、親としての仕事/子としての仕事があるだろうし、地域にコミュニティを持っている人々もいるだろう。まあ、「私は仕事一筋で家族も省みずに働いてきた。他には何も無い」という人々も残念ながら多いとは思うが、いまその自覚がある人達は、地域社会等に目を向けてみるといい。企業人として培ってきたスキルのどれかは、きっと役に立つ。昔はともかく現在はコミュニケーションツールも発達している。このブログを読めるスキルと意欲があれば、誰かがあなたの声に耳を傾けてくれるだろう。話を戻そう。疲弊しているとはいえ、我々は産業労働の現場以外にも居場所を持っている。まずは、コミュニティを取り戻そう。あるいは、甦らせよう。地域を基盤とするものにせよ、あるいはもっと範囲を広げるネットワークにせよ、コミュニティは精神の安定を保ち、労働意欲の維持や活性化に不可欠なものだ。誰もが「職場の仕事だけが生きがい、望み、希望」というわけではあるまい。多くは、「家族のため」であり、その未来のためだろう。その家族はどこにいるのだろうか。産業労働の現場だろうか。コミュニティの維持は、労働者にとっても家族にとっても必要不可欠な仕事なのだ。

多くの人々は誤解をしている。地域社会を守ったり維持する仕事は、行政の仕事ではない。NPOやNGOなどの横文字団体のものでもない。一人一人の仕事なのだ。そもそも行政サービスが肥大化する原因は、人々が多くを求めすぎることにある。産業労働による果実にかまけるあまり、地域をないがしろにしてきた我々自身に責任がある。社会を壊したのは、企業社会でも行政や政治でもない。我々自身なのだ。産業労働に従事するチャンスを持たない人は、まずこの仕事に取り組もう。行政の手が届かない様々な場所に足を運び、サービスを提供して適切な範囲で対価を得よう。困っている人々は、なにも高齢者や身障者、子育て中の人などに限らない。労働意欲を持ち、教育訓練を求める人達も多くいる。彼らにスキルを伝える仕事も重要だ。コミュニティというものは、そもそも労働再生産を生み出すための基盤でもある。運悪く産業競争に負けて失業した人々が再挑戦するためにも、その生活基盤や学習基盤の維持は必要不可欠だ。そのことが回りまわって、「誰にでもチャンスのある社会」を作り出していく。そして、こういった活動は行政コストを低減させ、回りまわって、社会資本の原資を増やすことにも繋がるだろう。

しかし、コミュニティの維持や発展も、それに取り組む人々が多くなれば必要性は低下していくだろう。困っている人々が減るのはけっこうなことだが、対価を得る数少ないチャンスも失ってしまう。さて、どうしよう。ならば、再び熾烈な競争社会に身を置いてみてはどうだろうか。といっても、産業社会だけをめざす必要はない。「好きなことを仕事に」という方向のことだ。

正直に言えば、こちらはあまりオススメできない。熾烈な競争を勝ち抜いて職業としてこれを勝ち取れる人は、極めてわずかだ。「そこまでは求めない。わずかな収入でもかまわない」という人も多いだろう。熱狂的な一部のファンを持つバンドが、ライブハウス等で演奏する光景は、けっこうあちこちで見られる。「ふわふわ時間」は私もお気に入りだ。しかし、だ。少数のファンしかつかない、ということは、少数にしか受けていない、ということだ。それだけの価値しかない、ということだ。そこは自覚しておいたほうがいい……と書きながら卓袱台をひっくり返そう。いままでの話は精神論。イノベーションを考えるのなら、わずかな可能性でも果敢に挑戦していったほうがいい。桜高軽音部が武道館にいけるかどうかはしらないし、あなたの「歌ってみた歌」が受けるかどうかはわからないが、挑戦はやめるべきではない。誰の何に価値があるのかは、誰にもわからない。それに、いまはロングテールの時代だ。価値を見出してくれる人がいて、対価が得られるのなら、それは立派な仕事だ。誇りを持っていい。それになにより、その姿勢は産業のイノベーションを生み出そうとする人達にも支えとなるだろう。両者は同質のものなのだから。しかも、現代日本はモノがあふれている成熟社会だ。このような社会では必然的に、モノよりも知財、アイデアなどが高価値を持つ。チャンスだけなら、けして少なくないのだ。あなたの好きなことは、仕事として認められる可能性がある。がんばってほしい。

さて。ここまで読んで、「何が仕事だ。そんな程度のことで生活に必要な対価が得られるものか。夢みたいなことを言うな」と思われた人も多いだろう。私もそう考える。上記の例は、そのどれもが市場価値を持っていないか、極めて低い。まあ、「好きなこと」のほうは価値が出る可能性があるが、コミュニティの再生のほうは、市場価値の創出という点では絶望的だろう。そもそも競争のしようがない。介護や育児にはサービスも競争もあるではないか、という人もいるが、その現状をご存知だろうか。需要があるのに供給が追いついていない。様々な規制の問題もあるが、根本的には、コストが見合わない産業なのだ。需要があっても価格を上げにくく、そのために労働者の所得を増やすことができない。そもそも、産業競争力のあるものなら、規制があっても参入する企業は多いだろうし、規制自体を改変する動きも出るだろう。寡聞にしてそういう話は知らないのだが、どなたかご存知だろうか。話を戻そう。児童の登下校を見守ったり、独居老人を訪ねたり、地域の清掃を行ったりする行為は、社会の維持にとって必要不可欠なことだと思うが、産業競争力の無い仕事ではあるだろう。高賃金にするべきだ、と考える人もいるとおもうが、私は否定的だ。イノベーションを生み出す余地の少ない仕事は、あまり高賃金にするべきではない。それは回りまわって、社会的損失に繋がる。まあ、道路掃除くらいは機械化の余地があるかもしれないが。

必要な考え方は、こうだ。イノベーションを興して経済競争を促しやすい仕事は産業の現場に、イノベーションが置きにくく競争がうまく働かない仕事は、それ以外で。この住み分けが必要なのだ。これは社会を分断することではない。人々は、このどちらにも属しているし、就業と失業の繰り返しが恒常化すれば、その間を行き来することになる。誰もが産業の現場と社会に生きていることを自覚的に捉えれば、社会の維持が産業の維持にとって必要不可欠だと考えるだろう。将来に絶望したり、スラム化が進んでいく環境で、どうしてイノベーションの芽が出てこようか。どうして、活発な経済活動が維持できようか。社会を守ることは経済を守ることであり、経済を守ることは社会を守ることなのだ。社会保障とは、文字通り、「社会を保障する」ものでなくてはならない。人々と社会を守るものでなければならないのだ。経済的な理由で生じる困窮は、誰にとっても損害なのだ。社会にとっても、経済にとっても。対価の見合わない仕事には、必要最小限の保障はしなければならない。それが社会を維持して活性化させる原動力となる。

ところで。「社会保障が必要なことはわかった。しかしそれなら、衣食住を保障すればよいのではないか。なぜ、どんな使われ方をされるかわからない現金を支給する必要があるのだ」と思われたことだろう。これはたしかに異論があってしかるべきで、ベーシック・インカムに限らず社会保障のあり方は、多くの人々が議論をするべきだと思う。次回、予定では完結編になるはずなのだが(笑)、ベーシック・インカムについての私見を書いてみたい。

(続く)。

1 件のコメント:

  1. BIと労働を考える上で参考になれば、
    こんな会社もあるんです。

    http://ameblo.jp/hatarakushiawase/

    インタビューより抜粋
    大山さんにとって「会社」とは?
     人は働くことで幸せになれる。であれば、会社は社員に「働く幸せ」をもたらす場所でなければならない。そのように、私は考えています。
     もちろん、会社を存続させるためには利益を出すことが絶対条件です。しかし、「利益第一主義」のために、社員が働くことに幸せを感じられなくなってしまえば、会社が永続的に発展する力は失われてしまいます。だから、会社にとっても「働く幸せ」はとても大事なものなんです。

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