2010年3月12日金曜日

社会 : ライフログの有効活用

ライフログという言葉をご存知でしょうか。自分達の日々の暮らしや行為を、デジタルデータに残して記録したものです。といっても難しく考えることはなくて、ブログに日記をつけたり、Twitter でつぶやくことでも、立派なライフログになります。将来的には身体の健康状態をモニターして、それを定期的に医療機関等に送信するような行為も、そう呼ばれるかもしれません。まだしばらくは未来の話でしょうが。今回の話は、そこまで未来の話ではなく、我々が日常的に残している記録を、もっと有効に使えないか、という話です。

わかりやすいであろう例として、介護サービスを例にしましょう。家庭で訪問介護を受けたとします。その際、ヘルパーの方のサービスに不満が残った。不満があっても、ヘルパーに気兼ねして、それを伝えなかったとします。相手に気兼ねして不満を伝えられない、というシチュエーションは、わりと理解しやすいと思います。さて、それを自分の胸のうちだけにしまっておかないで、いまだったら Twitter でつぶやいてしまった、という行為になったとしましょう。それを読んで、みなさんはどう感じられるでしょうか。

わりと起きやすい事例としては、介護サービスに対して不満を持った経験のある人々が賛同して、その話で盛り上がる。逆に、「ヘルパーも大変なんだから不満を持つなんておかしい」という意見が盛り上がって、最悪、炎上になる。だいたい、このどちらかの展開になることが多いと思います。しかし、すこし待ってください。

ヘルパーに問題があったのか、介護を受けた人に問題があったのか、この例では判別できません。つぶやきが詳細なものなら、あるいははっきりするかもしれませんが、それを相手に伝えて終わり、でいいのでしょうか。すこし、もったいないと思います。

対人サービスというものは、技能を伝えるということが思いのほか難しい、という特徴を持っています。言語化、マニュアル化されていない「知恵」が多く、経験がものを言う世界です。それに相手があって成り立つ仕事ですから、千差万別、なかなか「これでよし」という最適解は得にくい。なんとかできないでしょうか。

そこで、最初のライフログの話に戻ります。自分の受けたサービスについての感想を残し、それを様々な人に見てもらうことで「参考例」として残す。それを読んだ人が感想や経験を語り、それをまた「参考例」として残す。この積み重ねを用いることによって、かなり詳細なデータベースの構築が可能となるのではないでしょうか。いわゆる、集合知という奴です。

まあ、現実にはかなりリテラシーを要求する行為なので、なかなか実現までの道のりは遠いと思います。ただ、「人の経験や不満を糧とする」という姿勢で臨めば、文面から読み取れるもの以上の知恵は得られるものです。ただ、相手の気持ちに賛同したり反発したりするだけでなく、そこに至った経緯にも視点を向けてみることで、もっと豊かなコミュニケーションが可能となるのではないでしょうか。

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